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水琴亭 原三溪顕彰茶会に寄せて「原富太郎翁と早稲田大学」奥島孝康 第14代早稲田大学総長

2020.03.20 1,519

原富太郎翁と早稲田大学

第14代早稲田大学総長 現学事顧問
奥島 孝康

原 富太郎
横浜三溪園

 岐阜県羽島郡柳津町(現岐阜市)出身である青木富太郎は、明治18年草創期の早稲田大学に入学し法律を学んだ。後、横浜の豪商原善三郎の家督と事業を嗣ぎ原姓となった。氏はその事業を近代的な会社組織にして製糸業を経営し、生糸と絹の輸出によって全国有数の大事業家となった。
 明治45年、渋沢を委員長とする基金管理委員会の委員となった原は、おそらく早稲田大学校友のなかで、もっとも早く実業界で名を知られ、大学に貢献のあった人であろう。
 三溪と号した原は、横浜の本牧に三溪園を造園した人として広く世に知られ、東西の著名人が数多く訪問し、逗留したこの三溪園は、今日の国際文化交流の拠点としての役割をも果たしている。また原は、自ら集めた日本画、中国陶磁、仏教美術等によって日本、東洋の芸術の価値を世界に知らしめ、国外へ散逸することを防ぐことに貢献した。

三溪園 紀州徳川家別邸 臨春閣

 だが、なによりも私が、勇気づけられるのは氏の精神からである。関東大震災によって横浜は壊滅的な被害を受け、蚕糸貿易も危機におちいったとき、原は、横浜貿易復興会の会長に推され、短期間のうちに、横浜の生糸輸出の主導権を復活させる手腕をみせた。
 さらに横浜市長、県知事ら関係代表二百余名は、横浜市復興会会長に原を選出した。三溪園を訪れた市長の懇請を引き受けた原は、復興会創立総会で演説し、その記録が『横浜復興誌』に残されている。「開港以来蓄積してきたすべてが一朝の煙と消えたが、これは横浜の外形を焼き尽くしたにすぎない。横浜の本体とは何か。市民の精神である。市民の元気である。市民の中心となる原動力がここに集まっておられる以上は、市民の本体は厳然として存在する。われわれは先づ自ら背水の陣を布いて、身を捨ててかからなければ、他からの同情も援助も期待できない。個々の対立を超えた協力の下に行おう。」という趣旨を説き、復興に貢献した。

三溪園 鶴翔閣

 昭和14年、原が亡くなったとき、横浜市は緊急市会を開き「故原富太郎氏生前ノ功労ニ対シ感謝文贈呈ノ件」を議し、満場一致の賛成で感謝文を贈った。
 私は校友原の非常の時に力を発揮した精神を誇りに思う。

三溪園 合掌造り 矢箆原家
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