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ホーム›金華日々徒然› 金華の歴史, 金華MAP › 鳥瞰図(ちょうかんず)大正末期の岐阜市の様子、絵葉書 躍進日本大博覧会(昭和11年)『金華の風』より
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大正末期の岐阜市の様子を描いた鳥瞰図(ちょうかんず)である。
金華の町の東側には金華山と岐阜城、その麓には岐阜公園と岐阜大仏(籠大仏)、岐阜市の中央には美濃電気軌道株式会社の市内電車(赤の太線)、長良橋の南詰には鵜飼観覧のための遊船事務所などが見られる。
岐阜小学校とあるのは「岐阜尋常高等小学校」(金華小学校の前身)。
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昭和11(1936)年当時の岐阜公園周辺部の様子を描いた鳥瞰図(ちょうかんず)である。
岐阜公園には、「躍進日本大博覧会」のパビリオンが林立していた。
また、博覧会場を訪れる人のために、岐阜公園周辺の観光名所(金華山と岐阜城・長良川の鵜飼・伊奈波神社・善光寺・岐阜大仏・板垣退助像など)が明記されている。当時の金華尋常高等小学校の様子も、一目瞭然である。
大正14(1925)年9月15日~10月31日まで、岐阜市美江寺町を中心に開催された岐阜市主催「銀婚式奉祝国産共進会」の記念絵葉書である。
岐阜県内外から岐阜市を訪れる人々に紹介する岐阜の名所は、いつの時代も、戦国の表舞台となった金華山と王朝絵巻を繰り広げる長良川の鵜飼であった。
大正11(1922)年4月28日、我が国を訪問されていた大英帝国・エドワード皇太子殿下(後のエドワード8世)は、長良川の鵜飼を観覧された。
この絵葉書のように展開される王朝絵巻をご覧になるため、大英帝国・皇太子殿下は、はるばる岐阜まで足を延ばされた。長良川の鵜飼に感動されたことであろう。
昭和11(1936)年3月25日~5月15日まで、岐阜公園を中心に開催された、岐阜市主催「躍進日本大博覧会」の記念絵葉書である。
この記念絵葉書の原画を描いたのは、“昭和の広重”と謳(うた)われた、吉田初三郎である。初三郎は、鳥瞰図の原画作家として一世を風靡していた。
躍進日本大博覧会長:松尾國松氏(岐阜市長)が岐阜県内小学校の児童宛てに差し出した博覧会宣伝のための絵葉書である。
躍進日本大博覧会は、岐阜公園及び長良川畔一帯を会場として開催された。会場内では、長良川の鵜飼の実演も行われた。
金華の麓・右手の白い洋風の建物が金華小学校の前身・「有道義校」