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11月2日(土)金華自治会連合会防災訓練について 雨天時バージョンとして実施します。 各自治会の集合場所で安否確認集計後、自治会長と地区防災隊長・副隊長のみ、岐阜小学校体育館2階に集合してください。
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明治23年(1890)春は、連年の不景気や凶作などで、米価が高騰して飢えた人があふれ、各地で救援金募集や困窮者への米・麦の支給が、おこなわれるありさまだった。さいわいその秋は豊作で、翌24年も平年作の見通しがたち、一息つこうとした矢先の10月28日午前6時37分、マグニチュード8.0を超える大地震が、岐阜県を中心とした地域を襲った。
その激しさは、「倒れた身体が横に臼を引きまわすように転がされた」などと記録されている。そして、直後に起こった火災が、さらに被害を大きくした。この大災害は「濃尾震災」と呼ばれている。
地震発生4日後の11月1日に発行された「岐阜日日新聞号外第一」掲載の「震災当時岐阜市の実況」には、地震発生時の状況を次のように書いている。「俄然天地鳴動すると同時に、大地は動揺して、或いは高く、或いは低く、見る見る欠裂を生じて、おびただしく噴水し、人家は、右に揺り左に舞い、たちまち転覆して、人畜を圧死し、震動およそ1分30秒間にして止む」。震動時間は、被害にあった人によって、10秒とも10分とも答えており、極限状況での人間の感覚の頼りなさを、思わせる。ただし、測候所の地震計を破壊するほどの激震の後も、余震が繰り返し、28日午後だけでも、100回以上の震動が記録された。
強烈な震動が止んで、呆然としている人びとの耳に、火災を知らせる半鐘の音が響きわたった。最初に出火したのは、岐阜市秋津町の蚕糸組合事務所と伝えるが、すぐに木造町・下新町・七曲町(現在の本町6丁目)・鍛冶屋町(同4丁目)にも火の手が上がった。
家族や家を失い、うろたえる市民は、消火につとめる者も少なく、秋津町・七曲町・木造町はようやく消し止めたものの、他の二町の火は、東北に向かって広がった。さらに、午後2時ころから西北風が強く吹き、あおりたてられた火勢は、東南方向へと町を焼き尽くしていった。
このとき、かなりの人数が、家財とともに伊奈波神社に避難していた。しかし、西北風をまともに受けて、山上も山下も一面の火の海となり、集まった人たちは、荷物を捨てて、家族ちりぢりになって逃げのびた。午後3時ごろには宏壮な社殿は、ただ礎石を残し、うっそうと茂っていた老樹も、枯れた幹を見せるだけとなってしまった。
市内に広がった火災は、師範学校生徒や囚徒たちの活躍で次第に消し止められたが、倒壊家屋で道をふさがれ、井戸水は枯渇し、消防用具も倒れた家の下になっていて使えず、消火活動は困難をきわめた。金華地区の南端を、東西に横断する堀が、最後の防火線となり、死力を尽くして消火につとめたものの、一部は堀を越えて南に燃え広がり、地震から丸1日以上たった29日の午後2時になってようやく鎮火した。この堀は震災当時は「糞堀」という、ありがたくない名で呼ばれていたが、かつては岐阜城下町の南の備えであったもので、現在は暗渠になっている。
濃尾震災で、岐阜市(この時期の岐阜市は現在よりもずっと小さな区域)では、死傷者約1,500名、総戸数の3分の2が全半壊し、3分の1が全焼した。岐阜県・愛知県では、25,000人以上が死傷し、道路や橋、堤防を含めて被害ははかりしれなかった。
若宮町2丁目には、このとき亡くなった人びとの慰霊のために、衆議院議員であった天野若円が建立した震災紀念堂がある。明治26年の震災三回忌にさいして開堂式を挙行し、若円の没後も、毎月28日には慰霊が営まれ、現在にいたるまで続けられてきた。紀念堂が所蔵する分厚い「震災死亡人台帳」には、金華地区の人約60名が含まれ、その中には川合玉堂の父、川合勘七の名もある。
『震災被害取調材料』より。数字は原文のままで、土蔵なども含むと思われる
米屋町(新桜町の一部を含む)
【全焼家屋:60】
桜町(伊奈波通1丁目)
【全焼家屋:80】
万力町
【全焼家屋:32】
白木町(栄扇町の一部を含む)
【全焼家屋:155】
常盤町
【全焼家屋:41】
扇町(栄扇町・白木町の一部)
【全焼家屋:21】
加和屋町(本町1丁目。梶川町の一部を含む)
【半壊家屋:13 全焼家屋:84】
愛宕町(伊奈波通2丁目)
【全焼家屋:110】
末広町(新桜町の一部を含む)
【全焼家屋:14】
靭屋町(新桜町の一部を含む)
【全焼家屋:56】
大和町
【全焼家屋:8】
中竹屋町
【全焼家屋:67】
上竹屋町
【全焼家屋:30】
釜石町(本町3丁目)
【全焼家屋:30】
布屋町
【全焼家屋:12】
本町(本町2丁目)
【全焼家屋:33】
松屋町(栄扇町の一部を含む)
【全焼家屋:102】
魚屋町
【全焼家屋:19】
上新町
【全焼家屋:33】
久屋町
【全焼家屋:22】
中新町
【全焼家屋:22】
蜂屋町
【全焼家屋:17】
大工町
【全焼家屋:45】
甚衛町
【全焼家屋:12】
珠城町(矢島町1丁目上組)
【全焼家屋:52】
間之町
【全焼家屋:16】
加茂町(矢島町1丁目中組)
【半壊家屋:11 全焼家屋:46】
相生町(矢島町1丁目下組)
【全焼家屋:36】
榊町(伊奈波通3丁目)
【全焼家屋:14】
矢島町(矢島町2丁目)
【半壊家屋:4 全焼家屋:90】
栄町(栄扇町・矢島町2丁目・松屋町の一部)
【全焼家屋:18】
木造町
【全壊家屋:23 半壊家屋:16 全焼家屋:16】
上ヶ門町(本町7丁目)
【全壊家屋:1 半壊家屋:3 全焼家屋:6】
七曲町(本町6丁目)
【全壊家屋:24 半壊家屋:9 全焼家屋:4】
車之町(本町5丁目)
【半壊家屋:65 全焼家屋:5】
鍛冶屋町(本町4丁目)
【全壊家屋:3 全焼家屋:49】
下新町
【全焼家屋:79】
下大桑町
【全焼家屋:58】
中大桑町
【全焼家屋:52】
上大久和町
【全焼家屋:36】
西材木町
【全焼家屋:31】
東材木町
【全焼家屋:37】
北今町(今町1丁目)
【全焼家屋:32】
上今町(今町2丁目)
【全焼家屋:34】
中今町(今町3丁目)
【全焼家屋:25】
下今町(今町4丁目)
【全焼家屋:23 半焼家屋:1】
富茂登(湊・上材木・御手洗・玉井・元浜・川畔・大宮・木挽・山口・益屋・上茶屋・下茶屋・松下・松山・夕陽ヶ丘・松ヶ枝・大仏・梶川の各町)
【全壊家屋:1 半壊家屋:290 全焼家屋:57 半焼家屋:4】
稲束(啓運町が含まれる)
【全壊家屋:196 半壊家屋:195 全焼家屋:10 半焼家屋:1】