金華まちづくり協議会(自治会連合会 各種団体)公式HP
岐阜市金華校区コミュニティ情報サイト
互金助愛
“金華でお互い助け愛” ネットワークサービス GNS
People who live in KINKA, connect each other, help each other.
ホーム›金華日々徒然› 金華の景色四季折々エッセー, 金華街角コラム › NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の舞台を歩く 続編 DADA’sブログさんより
2020年07月05日
Ichijodani-Asakura Ruins
NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」は、美濃を脱出した光秀が越前朝倉氏を頼って逃げのび、後に信長に仕えるまでの10年間の雌伏期間に入ったところで、新型コロナウイルスの影響により放送が中断しています。この休止中の様子を是非知りたいものと、福井市の「一乗谷朝倉氏遺跡」を訪れてみました。
遺跡マップ
一乗谷川
遺跡の入口
戦国時代、朝倉氏は5代100年に渡ってこの地に1万人が住む城下町を造り、「北陸の小京都」と呼ばれて繁栄していました。光秀は近くの寺の門前に住んで寺子屋を開き、朝倉氏とは鉄砲指南や医学を通して関りがあったようです。その後光秀はこの地を離れ、信長の家臣となってその才を発揮していきました。
朝倉氏の館跡
館の唐門
復元屋敷
復元鎧
時代を経て、朝倉氏は信長によって滅ぼされ、一乗谷は焼き討ちされて放置されました。やがて(一乗谷川によって運ばれたと思われる)土砂に埋没して400年間に渡り水田とされていたものが、昭和になって発掘され、城下町の遺構が当時のままの状態で残されていることが判ったとのこと。現在は貴重な遺跡として整備され今も発掘が続けられています。
敦賀の金ケ崎城址
2020年07月06日
Kanagasaki Castle Ruins
光秀ゆかりの地として、福井県敦賀市にある「金ヶ崎城址」を訪れました。越前の朝倉攻めで敦賀に侵攻した信長は、「金ヶ崎城」を攻略してここから朝倉氏の本拠である一乗谷に進軍しようとした矢先、同盟関係にあった北近江の浅井長政が裏切り、朝倉軍と浅井軍との挟み撃ちに会う窮地に陥りました。
金崎宮
眼下に敦賀湾
浅井長政の裏切りを信長に知らせたのは、長政に嫁いでいた信長の妹・お市の方で、両端を紐で結んだ小豆袋を送り「袋のネズミ」を暗示させた、という逸話が残されています。
信長は若狭経由で京都に撤退を決め、そのしんがり役を光秀と木下藤吉郎(後の秀吉)が務め、退却を成功させたとされています。光秀にとってここはその後の活躍昇進への「飛躍の地」となりました。