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ホーム›金華日々徒然› リンク, 金華自慢のお店・スポット › アンドレディ(常磐町)洋菓子 甘さ控えめな昔ながらの素朴な味を守り続ける
〒500-8058 岐阜県岐阜市常磐町20
058-264-3533
営業時間 : 10:00~20:00 日曜営業
定休日 : 火曜日
創業は、昭和53年(1978)2月1日で大雪の日であったそうである。昔ながらの甘さ控えめの味で、金華の洋菓子店として地元の老若男女問わず愛されるお店である。
貞幸さんは、菊屋ベーカリーで11年修行の後、満を持して独立。実家である現在の地、常磐町の旧宅を改造して、北方町の長崎屋にあったガラスをもらい、店のウインドウにしたり、菊屋ベーカリーから、窯などを譲り受け、店舗とした。新たに購入したものは、冷蔵庫とミキサーのみであったそうである。
「冷凍や作り置きはしない」という父のこだわりを受け継ぎ、時代に流されない、ここにしかないものを作る。それは、気取らない素朴な味わいのケーキたち。
店を訪れるのは、開業以来の常連客や3世代に渡って通う家族。長年みんなに愛されてきた商品も、改良の余地があれば安藤さんは創意工夫を怠らない。日々洋菓子作りと誠実に向き合い、様々な人の思い出と歩んできた味を守り育てている。(aun webマガジン記事より)
日本のスウィーツの元祖といわれる「エスワイル」は、東京の神田小川町、後に移転して文京区春日にあった。
日本のフレンチの元祖で横浜のホテルニューグランドの総料理長サリーワイルの愛弟子で、スイーツ部門責任者も務めた大谷長吉が始めた店である。数々の有名なパティシエが修行した店でもある。
ちなみに、サリーワイルや大谷長吉を生んだ横浜のホテルニューグランドの経営者で、亡くなる94歳まで終身会長であった 野村洋三(1870~1965)は、揖斐郡大野町出身である。
ホテルニューグランドの経営者である野村洋三(初めはサムライ商会として名を挙げた)は、原三溪(岐阜市柳津出身、水琴亭を造らせた人)と共に関東大震災の横浜復興の大恩人である。三溪が復興会長、洋三が復興事務局長となり、見事に復興に務めた。
特に洋三は、関東大震災と第2次世界大戦と、2度の横浜の復興に尽力し、戦後初の横浜商工会議所会頭を務めた。
ロータリークラブや日米協会を立ち上げ、「ミスターシェークハンド」と言われ、ハマっ子の憧れの人であった。
その横浜ニューグランドの味を引き継ぐ「エスワイル」は、店舗に一切の衒いがなく、良く見ないと見逃してしまうような地味な店構えであった。
母校の今は亡き食通の学長や恩師たちがこよなく愛したお店、味であった。私にとっても学生時代や卒業後も、上京して度々お邪魔した青春を思い出させる懐かしい味である。
そのエスワイルのザッハトルテ、サバラン、カヌレ等々のそんな日本のスウィーツの伝統を感じさせるのが、アンドレディの味である。
現在、わが家では、娘が里帰りし孫を連れて帰ると、よく一緒にアンドレディのケーキをいただくのが楽しみの一つである。
私の過去と未来をつなぐ味とも言える。
横浜の開港や発展に活躍した岐阜人は多い。
大垣藩士で外交官となり幕末・明治初頭に活躍し、明治6年には活版印刷で日本初の英和辞典を作り、後に日本初の大衆日刊新聞、読売新聞初代社長となった大垣市出身の「子安峻」。彼は、早稲田大学を後に作った「高田早苗、小野梓」や美濃加茂出身のシェークスピア研究者にして小説家、演劇界の父「坪内逍遥」を登用した。
福沢諭吉と共に日本初の株式会社「丸善」を創業し、横浜初の西洋病院長であり、横浜市立大学医学部の礎を築いた山県市美山町出身の「早矢仕有的」。
生糸や絹糸製造で莫大な富を築いた横浜一の財界人「原三溪」は、岐阜市柳津町の出身。関東大震災の復興会長としても尽力。三溪園は、個人の邸宅ながら5万3千坪もあり、国の重要文化財が10棟もあり、明治時代から市民に解放して市民の憩いの場所となった。東の「三溪園」、西の「桂離宮」として有名。(現在は横浜市に移管)
そして、先ほど来のホテルニューグランドの経営者であり、マッカーサー元帥が占領統治の為、厚木基地に降り立ち、最初に泊まり、初めて会話を交わした日本人が大野町出身の「野村洋三」である。
事程左様に、横浜開港以来、岐阜との縁には枚挙のいとまがない。
そして洋菓子も、である。
横浜の洋菓子の老舗「喜久家洋菓子舗」に、「ラムボール」がある。元祖チョコボールと言うべきものか。
1924年の創業当初、横浜山手の外国人が持ち込んだレシピを元に誕生したラムボールは、喜久家が発祥とされる銘菓としてハマっ子たちに長年愛されている。
その味に甲乙つけがたいのが、アンドレディの「チョコボール」である。
初代主人貞幸さんが修行した「菊屋ベーカリー」の伝統の味を引き継いだものだそうである。
残念ながら、「エスワイル」も「菊屋ベーカリー」も今は、閉店してない。
サバランとともに日本のスイーツの正統の味が、まだこのお店では味わうことができるのである。
岐阜の、金華の、「口福」と言えよう。
(レポート 林)