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ホーム›金華日々徒然› リンク, 金華自慢のお店・スポット › 「味噌松風」漢隣堂 長崎屋本店(中竹屋町)岐阜で一番の歴史を誇る和菓子舗、今年で創業300年
営業時間: 午前9時~午後7時(祝日午後6時)
定休日: 日曜日
電話番号: 058-263-146
長崎屋本店は享保5年(1720年)に初代宇右衛門が釜石町(現在の本町3丁目)で創業したと言い伝えられています。
宝暦3年(1753年)正月、二代目長崎屋宇右衛門が「松風」を初めて製造。
たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む
中納言行平
百人一首16番 作者の在原行平を題材にした能「松風」から名づけられました。また、古来より稲葉山(金華山)が松の名所であったことにも由来しています。
宝暦13年(1763年)「松風」の原料に糀味噌を加え、焼き方を変えた「味噌松風」の製造を開始。のちに夏目漱石の小説「虞美人草」にも登場する岐阜銘菓となりました。
その後、現在地の中竹屋町に移転。移転時期は定かでは有りませんが、伊奈波神社境内の燈籠に「安政四年 中竹屋町 長崎屋宇右衛門 寄進」とあることから安政四年以前には移転していたようです。
明治24年10月28日濃尾震災により店舗が焼失。その後笹土居町に移転をしました。
明治30年 美濃国安八郡結村生まれで幕末から明治に掛け全国を放浪した絵師 蓑虫山人がしばらく滞在し、当時の当店の様子を描いた絵が名古屋の長母寺に残されています。
この頃は奉公人も多く、年季明けで数軒の暖簾分けをしました。また、饅頭や鮎菓子など多種類の菓子を製造しており、濃尾震災の焼け跡からは「岐阜名物 鮎形御菓子元祖 長崎屋」の焼印が発掘されました。
昭和20年7月9日の岐阜空襲により店舗と菓子の道具など焼失しました。 戦後、砂糖統制が解除された昭和24年、神田町四丁目の自由書房に隣接した店舗で営業を再開。
この時から「松風」「味噌松風」の2種類のみの製造になりました。その後、小柳町への移転を経て昭和32年頃現在地に戻り、昭和39年に現在の店舗が完成しました。
当店は代々宇右衛門を襲名しており、当代は昭和56年に9代目牧野宇右衛門を襲名、そして今年おかげをもちまして創業300年を迎えることができました。