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狂俳は、和歌や俳句のような日本固有の文芸から派生した世界でも最も短い詩と云って良いでしょう。江戸中期の俳人、三浦樗良(ちょら)に始まると言われています。樗良は、安永2年、今から凡そ250年ほど前に岐阜に滞在し、その折に鷺山生まれの俳人、桑原藤蔵、後の狂俳第一世細味庵に指導をしたのが始まりと云われています。
その後、狂俳の活動は、細味庵と八仙斎の二宗家によって伝統が守られ、江戸時代を経て明治後期~大正期、第二次世界大戦後に特に隆盛を極めました。現在では、岐阜県を中心に50結社、約400名でその伝統が守り続けられています。
狂俳は、庶民の文芸として広く親しまれており、その理由は、形がきわめて簡単である点にあります。与えられた一定の題に対して、七・五あるいは五・七の僅か十二文字で表現される「世界で一番短い文芸」です。また、俳句が主として文語体であるのに対し、狂俳はほとんどが口語体であり、方言や俗語も多く使われ、それだけ地域に密着しています。もちろん、狂俳にも約束事があります。例えば、与えられた題の字は、句の中に読んではいけないとか、名詞で止めてはいけないなどの決まりがあります。動詞で終わります。
このように狂俳は、大人から子どもまで、誰でも気軽にそして楽しく取り組める文芸なのです。
「狂俳発祥の地」という大きな石碑が、岐阜公園に建立されていることを知っていましたか? これは、第一世八仙斎亀遊が岐阜公園の一画に草庵を構えていたことによるからです。なお、「発祥の地」の隣には八仙斎亀遊の句碑も建立されています。
伊勢山田の人三浦樗良は、蕉風漸く衰えんとするを憂い
狂俳発祥之地 碑文
冠句と言う十二字調を創案し
安永二年岐阜の地に滞在、厚見郡今泉村在初代細味庵東坡に教伝されたるに始まる
東坡は之を深く研究し俳諧に準じて形態を改め前句と呼称し更に天保年代に現在の狂俳と改称するに至る
爾来細味庵並に八仙斎の二宗家により
県下はもとより広く東海各地に伝へ今日の隆昌を見るに至る
憶うに狂俳は世界の最短詩にして極めて文質彬々たる格調高い文芸と云うべく今回同好会の会員相計り由緒ある此の地に永く後世にその由来を伝えんとする所以なり
昭和四十七年十一月十六日
亀遊は、岐阜市今町の製紙原料商 長屋亀八郎のことで、多くの門人を抱え、推されて第一世を号したのです。明治26年76歳で没し、墓は末広町の法圓寺にあります。その後、第二世以下も岐阜小学校校区から多くの宗家を輩出しており、その子孫が現在も住んでおられ、石碑や古文書等も伝えられています。
残念ながらかつては盛んであった岐阜市の狂俳活動も今ではまったくすたれてしまっているのが実情です。
そんな中で平成28年11月と12月に、岐阜中央中学校生徒と校区住民有志が東海樗流会会長 第十一世八仙斎 加藤宗家と岩田理事を講師にお招きして勉強会を始め、平成29年2月には、岐阜小校区の有志30余名による「狂俳岐阜中社」が立ち上がりました。そして、3月には「岐阜中央中学校で狂俳行灯まつり」を行いました。
そして恒例行事として、7月に「美江寺観音岐阜空襲慰霊千灯会~明郷小児童と共に」を実施。
同じく7月には「大仏フェスティバル」に出品し、8月には「岐阜公園狂俳発祥顕彰行灯まつり」を岐阜小学校の児童と共に行っております。
そして、12月には「メディアコスモス狂俳顕彰行灯まつり」を岐阜中央中学校の生徒と共に行っております。
岐阜小児童や岐阜中央中生徒や地元の皆さんと共に狂俳を学び、この地を発祥とする狂俳の伝統や文化を守り伝えて、「狂俳の輪を広げ、古典が息づく心豊かな街に」岐阜市がなることを願って、一緒に狂俳づくりを楽しみませんか。
会の皆さんが詠んだ句を紹介します。
「まだまだ」 綱に挑戦 土にはう
「不思議」 何処が良いのか 妻になる
「仰ぐ空」 月を眺めて 恋語る
「初夢」 思い出そうと 二度寝する
「寒月」 冴える金華の 鯱映える
「しなやか」 銀盤に 舞姫降りる
「新年」 瑞雲令和 富士染める
「初雪」 空から冬の 便り来る
「威厳」 令和パレード 御代祝す
「希望」 ノーベル賞に 学徒湧く
組織
会長 堀 達夫
事務局長 安藤 武夫
会員 約20名
連絡先 岐阜市松下町8 TEL 058-262-2396
東海樗流会の紹介
狂俳 – 東海樗流会 岐阜調狂俳と俳句の研究
岐阜中社の紹介
狂俳結社紹介「岐阜中社」